ディー・ブレイン証券創業物語(第1回)

2008年の大晦日です。
今年は衝撃的な大変化の1年でした。
思えばディー・ブレイン証券が創業した1997年も、「金融ビッグバン」という新たな変化が始まった年でした。
その1997年、銀行では北海道拓殖銀行が破綻し、証券会社では山一證券が破綻しました。
銀行の再編統合が相次ぎ、それでも体力が不足する銀行には公的資金が注入されました。
産業界では産業再生機構が破綻した大企業の再生処理を国家主導で行いました。
そして、銀行が不良債権処理を終了し深刻な金融危機から脱したと思った矢先。
今年、米国発の金融危機が勃発したのです。
米国は不動産バブル崩壊後の日本と同じ道を辿ろうとしています。
その影響は世界経済を巻き込んで、より深刻です。

そこで、これから何回かに分けて、ディー・ブレイン証券の創業の頃を振り返り、これから起きる変化とその対応を考察してみたいと思います。

第1回 証券会社設立のお誘い?

「出縄さんですか?説明に来ていただけますか?」
1996年11月。朝9時きっかりにかかってきた電話の相手は、大蔵省。
当時、東京都町田市にあった㈱ディー・ブレインの小さなオフィスは大騒ぎになった。
社員5人の小さなコンサルティング会社だったディー・ブレインが力を入れていたのが「インターネットベンチャー投資マート」。
中小企業の情報開示をインターネットに開示して投資家から資金を調達する仕組みだ。
財務諸表には仲間の公認会計士が監査報告書をつけて客観性を高める。
インターネットの黎明期で画期的な仕組みと、日経新聞ベンチャー欄に大きく取り上げられた。
雑誌の取材も相次いだ。銀行の貸し渋り問題となる中、中小企業の資金調達に朗報と持て囃す雑誌が多かったが、中には証券取引法に抵触しているのではと指摘するものもあった。
これは株式の募集行為にあたるので、証券免許を持たないコンサルティング会社のディー・ブレインは、潜りの証券会社では・・・と言うのだ。
そんな記事を見たのだろうか? 大蔵省からの出頭命令とも言える電話だったのだ。

その翌日。東京霞ヶ関にある大蔵省の一室を訪ねた私は、5人の担当官に囲まれていた。
暖かい笑顔で迎えていただいてほっとしていたのも束の間、厳しい質問が飛んできた。
「インターネットでユニークな試みをされているようですが、どんな仕組みですか?」
手に汗がじっとりとにじんできた。
「インターネットベンチャー投資マートは、会社がディスクロージャーをインターネット上に行って、自ら株式の募集を行う仕組みです。当社の役割は、会社に対するディスクロージャーコンサルティングとインターネットサーバーのレンタルです・・・。」
一応、私も公認会計士という専門家の端くれ。証券取引法も理解しているつもりだ。弟は偶然にも弁護士をしていて、相談をして法的に問題なしとのお墨付きは得ていた。
しばらく黙って聞いていたF課長補佐が口を開いた。
「なるほど。なかなかうまいことを考えましたね。これだったら直ちに証券取引法違反とは言えないでしょう。」
私の表情が緩んだのを、F氏は見逃さなかった。すかさずF氏が言ったことは、日本の証券史上、極めて重要とも言えることだった。
「このまま続けていたら、ディー・ブレインが証券取引法違反をしていると勘違いされますよね。勘違いされながらやると折角の良い仕組みが健全に成長しないのではありませんか?」
確かに、当社に寄せられるメールの中には、ディー・ブレイン証券は法的に大丈夫か?という質問がかなり含まれていた。
私が、どう答えて良いか躊躇していると、F氏は続けてこう言ったのだ。
「どうでしょう。この際、正々堂々と証券免許をとって証券会社としてやろうとは思わないんですか?」
私は言葉を失った。
「護送船団」とも言われた当時の日本の金融行政。銀行も証券会社も、つくらせない、つぶさないというのが常識。現に30年間、証券会社は銀行の子会社を除いて1社も新設証券会社は認められていなかった。私を含めて当時、日本国民の誰もがこの国では証券会社や銀行の新設は不可能と思い込んでいた。
「と、とんでもありません。証券会社をつくるなんて大それたことは考えおりません。」
咄嗟に口をついて出た。全く正直な気持ちだった。

その夜はなかなか寝付けなかった。
どうしてF氏はあんなことを言ったのだろう?
その時、脳裏をかすめたのは、「金融ビッグバン」という言葉だ。
宇宙の始まりだった「ビッグバン」になぞらえて、英国で起きた大規模な金融セクターの規制緩和は「金融ビッグバン」と呼ばれていた。
大掛かりな自由化によってロンドンは世界の金融センターとしての地位を回復し、外資系金融機関が続々と進出した。
世界から投資資金の流入が増大し、その後20年間に渡る英国経済成長の原動力となったのだ。
これに倣い、日本でも金融ビッグバンが来ると言われている。
規制緩和が検討されているはずだ。
ひょっとしたら、証券会社がつくれるようになるのかもしれない・・・。

翌週、仕事で宇都宮まで行った帰りの新幹線。
大蔵省のことを考えて悶々として、居ても立ってもいられなくなった私は大宮駅で途中下車。
F氏の名刺を取り出して、公衆電話に飛びついた。
電話口に出てきたF氏に対し、単刀直入にこう切り出した。
「先日のお話ですが、証券会社をつくってもいいんでしょうか?」

(続く)

第2回は3月に掲載の予定です。