ディー・ブレイン証券創業物語(第2回)

本日2月24日は、当社グループの創業企業ディー・ブレイン(現:ディー・ブレイン・コンサルティング)の設立記念日です。
1993年の今日、東京、御成門で産声を上げたディー・ブレイン。
中小企業の成長支援を専門とするコンサルティング会社として事業を開始しました。
監査法人時代にお世話になった仙台のソフトハウス、サイエンティア東京支店の机1つを借りて、小さな小さなスタートでした。
それから4年。全く思いがけずに証券会社を創業することになってしまったのです。
今回は、そのディー・ブレイン証券業物語第2回をお送りします。(第1回は昨年12月30日に掲載)

第2回 証券界からのクリスマスプレゼント

「先日のお話ですが、証券会社をつくってもいいんでしょうか?」
日も短くなり、少し肌寒さを感じるようになった夕暮れの大宮駅。
新幹線を降りた私は、公衆電話から大蔵省のF課長補佐に電話をし、単刀直入に質問をぶつけていた。
「出縄さん、証券取引法を読んだことがありますか?この法律には『証券会社』という章があるんです・・・。」F氏の透き通った声が耳もとに響いた。
公認会計士にとって証券取引法は馴染みのある法律だ。特にディスクロージャーに関する条項は監査業務や株式公開指導業務において必要不可欠。しかし、証券会社に関する条項については、監査業務に必要なものではない。
会計士が常に携帯する「監査小六法」にもディスクロージャーに関する部分は掲載されているが、証券会社の章は載っていない。正直、私もその章は読んだことはなかった。
私が、返答できずにいると、F氏は続けてこう言った。
証券取引法には、証券免許の申請手続きが書かれているんです。日本国の法律に書いてあるのですから、その通りにやればできるのは当たり前でしょう。」
F氏の勝ち誇ったような表情がちょっと目に浮かんだ。 

その1ヵ月後、クリスマスイブの1996年12月24日。再び大蔵省を訪ねた私は、F課長補佐を前に「新会社の設立と証券会社の免許申請について」という10頁ほどのペーパーを提出した。
まだ不完全ではあったが、そこに示したのはこれまでにないユニークな証券会社の概要と事業計画だ。株や投資信託を販売する証券会社ではない。
ディー・ブレインで始めたインターネット上の情報開示サイト「インターネットベンチャー投資マート」を証券業務として運営する会社だ。
資金ニーズのある中小企業の情報開示を支援し、証券会社として増資新株式の募集取扱と流通売買を担う。
収益の中心は未公開企業への投資に参加できる会員制の投資家からの会費と発行会社からのコンサルティング収益。
これに株式募集取扱手数料と売買手数料が加わる。
証券免許をもつコンサルティング会社と言ったところか・・・。

「わかりました。それでは始めましょう!」
と言いながらも、F氏は戸惑いを隠せないでいる。
それもそのはず。当時、新設証券会社として認められていたのは銀行の子会社だけ。
純粋な異業種参入の証券会社の免許申請を受付けるのは大蔵省としても初めてだ。
しかも証券会社としては見たこともないようなビジネスモデルだ。
「では、まず証券会社の全てが加盟している日本証券業協会という団体がありますから、そこに行って話しを聞いていただけますか?」とF氏。

日本橋茅場町東京証券取引所がある兜町から続くこのエリアは日本のウォール街とも言える証券界の中心地だ。
大蔵省を訪問した3日後の12月27日。地下鉄の茅場町駅の改札口を通り、そのまま地下道でつながる日本証券業協会のビルに私は足を踏み入れた。
エレベーターに乗込むと証券マンらしい数人が今日の相場について話をしている。
日経平均はバブル絶頂期の最高値から半値近くに下がってきていて、証券界全体に活気は感じられない。

「こちらへどうぞ・・・。」と通された部屋は、10人がけの大きな机が置かれた細長い部屋だった。
何故こんな部屋に・・・?と不思議に思いながら座っているとドアが開き、ゾロゾロと本当に10人が部屋に入ってきた。そして10対1の質問攻めが始まった。
ディー・ブレインはどんな会社で、インターネットベンチャー投資マートはどんな仕組みか・・・1カ月前に大蔵省で聞かれたこととほぼ同じ内容だ。
しばらくして一番左側に黙って座っていた業務課長のH氏がスッと立ち上がった。
「実は、当協会はディー・ブレインが無免許で証券業務を行っているということで、証券取引法違反で告発しようと準備をしていました・・・。」
ハッとして相手の顔を見ると、目は笑っている。
「しかしお話を聞いて、証券取引違法には抵触していないことが良くわかりました。
また、この度は新しい証券会社をお作りになるとのこと。歓迎しますよ。・・・当協会は証券会社からの会費で成り立っていますからね・・・!」
冗談交じりに話すH課長は、この10人の中で最年少。
爽やかな雰囲気で快活な話しぶり。
見るからに優秀そうだ。
後にグリーンシート制度の発展に大きな力を発揮いただくことになるとは、このときは知る由もない。

1997年の正月が明け、C信託銀行にいた友人のN君から新年会をやろうと電話がかかってきた。
重要な話があるという。
行ってみるとN證券から独立してIPOコンサルタントをしているM氏のほか数人が集まっている。
どうやら新しいベンチャーキャピタルを始めたいので一緒にやらないかということのようだ。
ベンチャーキャピタルもいいけど、実は僕は証券会社をつくろうと思っている。」
私がそう言うと、鍋をつついていた皆の手が止まった。          
(続く)