流動性の高い市場って良い市場?
X新聞経済部の記者が来社。
新興市場の売買高が低迷している中、市場の流動性についての質問です。
「上場会社の経営者にとって流動性はどんな意味があるんでしょう?」
流動性は高ければ高い方が良い・・・というのが証券会社や取引所の一般的な主張。
でも本当にそうでしょうか?
今、東証一部の売買高は今は20億株が活況かどうかの目安と言われます。
しかし10年ほど前には10億株がその目安でした。
東証一部の1日当たりの売買金額と時価総額を、20年前のバブル絶頂期1988年、バブル崩壊で低迷期の1998年、そして2008年の今日とを比較してみましょう。
売買高(※1) 売買金額(※1) 時価総額(年末※2) 年間回転率(※3)
1988年 1,020百万株 1,024十億円 463兆円 0.60回
1998年 492百万株 388十億円 267兆円 0.36回
2008年 2,238百万株 2,404十億円 270兆円 1.99回
※1 1日あたりの数値
※2 2008年は11月28日現在
※3 売買金額/時価総額
(東京証券取引所の統計データより)
バブル期と比較しても売買回転率は3倍以上。
投機的取引が増加した恩恵でしょうか?
バブル期の1988年が今日と比較して、流動性は不足していたのかというと、そうでもないはず。
証券市場は大変な活況と言われ、それ以前と比較して遥かに流動性は高かったのです。
とすると、逆に今の証券市場の流動性が過大なのかもしれません。
適正流動性が重要な時代
流動性が過小か適正か、それとも過大かの判断基準は時代によって異なっているようです。
売買手数料が大幅に下がった今日、実際に毎日2兆円の売買がないと証券会社の経営も取引所の経営も維持できません。
しかし適正流動性の判断は証券会社や証券取引所が決めるものではなく、投資家が判断すべきもの。
それも短期売買志向の投機的投資家と長期保有の投資家では適正流動性は異なるのです。
さらに、発行会社にとっての適正流動性となると、また異なります。
市場の流動性と銘柄の流動性
例えば、東証1部、東証マザーズ、札証アンビシャス、グリーンシート・・・と並べてみます。
これは市場の流動性の順でもあり、市場の評価の順でもあるようです。
しかし東証1部でも月に何回かしか取引されない銘柄もあれば、業績悪化で倒産する会社もあります。
一方、グリーンシートは図らずも今日は過去最高の売買高。特定銘柄の流動性が急速に高まっています。また、グリーンシートでも数億円の利益を安定的に上げている優良企業もあります。
証券会社を経由してコンピュータシステムで売買されるところは、処理能力の違いさえあれ、機能はほぼ同じ。特に東証、名証、札証、福証は同じ東証のシステムを使っています。東証は流動性が高く、札証は低いと言う人がいますが、そのような表現は正しくありません。
札証でも流動性の高い銘柄が上場すれば、その銘柄の流動性は間違いなく高まるのです。
実際に欧米の機関投資家の投資判断は、あくまで個々の銘柄。その銘柄がどこに上場しているかは余り関係ないのです。
発行市場の機能と流動性
そもそも金融の社会における最も重要な役割は、私たちの生活を支えている多くの事業に資金を供給することにあるはず。
流通市場と発行市場が両輪と言われる証券市場では、発行市場がそれを担っています。
その意味では、流通市場は発行市場が円滑に機能するための補完的役割を担っていると言えます。
とすれば適正流動性とは、発行市場が十分に機能するために必要な流動性を意味すると言えるでしょう。
短期売買志向の個人投資家が大多数を占める新興市場上場銘柄の多くでは、適正流動性として高い流動性が求められます。
一方、拡大縁故募集や資本提携型募集によって長期安定株主が大多数を占めるグリーンシート銘柄の多くでは、比較的低い流動性でも流動性は適正と言えるのかもしれません。
発行会社にとれば、流動性が高すぎて頻繁に株主が入れ替わるよりも、会社の事業に共感する多くの安定株主に支えられている方が良いという場合も多いでしょう。
投機的取引は善か悪か?
金融危機においてデリバティブ取引をはじめとする投機的取引に批判の目が注がれています。
確かにデリバティブやレバレッジが損害を拡大したのは事実でしょう。
過度な投機的取引が市場の適正流動性の水準そのものを高めてしまったのです。
しかし、だからといって投機的取引は全面的に否定されるべきものでもありません。
証券市場に適度な流動性を供給する範囲において、一定の社会的必要性はあるのです。